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学歴が、「結婚相手に求める条件」の人

この情報社会に、

絶対に親の価値観の深刻な影響を受けているなと思う、

お若いかたがいらっしゃるようです。

 

特に、バブル世代の親を持つお若いかたは、

親の価値観をどうしても植え付けられてしまうのは宿命なんでしょうかね。

 

「自分には夢があるんです」

と、20代を少し超えたくらいのお若いかたからこんな話を聞きまして、

内容は以下のようなものでした。

 

「20代後半には結婚して家を建てて、

30歳になるまでに子供を産み終わって、

50歳少し過ぎには子供が自分の手を離れて、

旦那さんが定年になった後は、年一回海外に旅行に行く」。

 

ずいぶん「古風な夢」を持っていらっしゃるのだなと。


そんなお若いかたの話を聞いて、

こんなことを言っていた人のことを思い出しました。

 

「自分の結婚相手は最低でも大卒が必須条件」

と、何時代の価値観なのかさっぱりわからないことを、

真顔で鼻息荒く他人に「宣言」していた人がいました。

 

そういう条件が「望ましい」のではなく、

「必須」とその本人は言っていましたね。

 

その理由は、

「最低でも大学出じゃないと知識レベルが低い」

からだとの事でした。

 

または

「高卒だと知識の幅が狭いし浅いから自分と会話のレベルが釣り合わない」

と決めつけていたようでした。

 

ちなみに余計な話ですが、その人は短大卒の人でした。

 

今さらですが「知識の幅」って、

学校から押し付けられる類いのものを指していたのでしょうか。


結論から言いますね。

 

この人が伴侶に選んだ人は高卒のかたでした。

 

「高卒でもいろんな人がいるから」


と自分都合の見事な掌がえしを臆面もなくしていましたね。

 

こういう人はおそらく、

自分の言ったことは口から出した途端に忘れることができる

のでしょう。

 

聞かされた方としては、得な性分だと感心するほかないわけです。

 

ある宗教団体さんの構成員さんの多数が通った経路

先の、見事な掌がえしをしてのけた人の話を聞いたのは、

今から5年くらい前だったと思います。

 

わたしより年齢はふたつほど上の人で、

その当時33~4歳といったところでしたでしょうか。

 

わたしがまだ宗教洗脳を解除する前で、

その人も団体さんの構成員の人でした。

 

少し余談になります。

その団体さんは信者へ対しその年齢性別無関係に、

実体のない「ご利益」に膨大なお布施を要求する詐欺集団が実際の姿です。

 

わたしの身内もどこから工面するのか、

年中「お布施」を「頑張って」いらっしゃるようです。

 

お金をむしり取られるだけでも十分悲惨ですが、

なによりも悲惨なのは、

構成員が「人生そのもの」を破壊するように仕向けられてしまうことですね。

 

自分から自発的に人生を捧げるように洗脳されるので、

できる限り早期の解除をお勧めしたいところではあります。

 

まず、団体さんの「活動」というものに人生をかけるように誘導されます。

そこに自分のプライベートは実質、存在しません。

「活動」を最優先に位置付けるように思考を誘導されるからですね。

 

ちなみにわたしはそんなのクソ喰らえで、

「まともに」やったためしなどありません。

 

あえて言うなら、異分野の洗脳下に置かれていた時くらいでしたね。

向精神薬の類いをめちゃくちゃに飲まされていた時の、

躁転」と言われる状態になった時「のみ」でした)

 

不幸にも、

「役職」とかいう有名無実の頂点に位置するもののお鉢が回ってしまうと、

自分のプライベートというものは皆無に等しい状況になる

のがほぼ決定のようですね。

 

そうなった人は文字どおり、

自分の時間を団体さんに捧げるのとほぼ同じ人生を辿るようです。

 

なので、少しでも疑問や不満を持った場合、

その自分の声をシカトせずに従った方が、

自分の人生を取り戻せる可能性が高まると思うわけです。

 

「条件」って、その通りになった人どれだけいるの?

話が逸れました。

 

「学歴」が未来の伴侶に求める「必須条件」と言っていたその人も、

ご他聞に漏れず、30半ばの声を聴く間際になって、

結婚見込み相手はおろか付き合っている人すらいない

(悲惨な)状況に陥っていたわけです。

 

結婚すること「自体」が人生の目的化してるフシがありますのでね、

あの団体さんの、特に「活動家」さんの未婚女性は。

 

わたしから言わせてもらうと、

相手を熟知する楽しみも相手との関係を育てる楽しみも、

すべてパスして「結婚」が最優先となっているようにしか見えない人が

本当に多いですね。

 

現在はどうだか知ったことではありませんが、

少なくともわたしが洗脳解除する前までのわたしの身の周りの、

いわゆる「年増」はそんな感じでした。


先の人の話に戻ります。

そこで団体さんの「人脈」を総動員して

自分に合う相手をあてがってもらったそうです。

 

うろ覚えですが3人目を紹介してもらったところで、

「この人と結婚する!」

と直感したそうです。

 

まぁ、決して悪い確率ではないでしょうね。

「結婚することだけ」が目的でマッチングしたとなるのであればです。


(先に高卒でいらっしゃるかたに、わたしからお詫びを申し上げます。)

「結婚相手は最低でも大卒以上、

高卒なんてあり得ない」

と鼻息荒くしていたのはどこへ行ってしまったのでしょうね。

 

挙句の果てに

自分の旦那になる人は特別。

高卒でもいろんな人がいるから、一概にくくれない」

となってしまったわけです。

 

誰でもそういうことは言うとは思いますけれどもね。

 

わたしにはわからないのですが、

「相手に条件ありき」って、その通りになった人ってどれだけいるのでしょうか。

 

自分の目的の方が優先順位が高いため、

相手に求める条件は「満たしてくれればいい」と本心では思っていたとしてもです。

 

わたしは自分がこのおかしな団体さんから無縁になって思うのですが、

自分自身が自分の人生を生きていないためか、

相手も自分の目的を実現する道具にしか見ていない気がする

のですね。

 

なので、ここでは「結婚すること」が目的化しているわけで、

その実現のためなら相手の人となりの精査なんて不要なのでしょう。

 

おそらくそうやっている本人は無自覚だと思いますけれどもね。

 

一緒にいる相手とは人間関係は育てるのが当たり前と思います。

余談ついでにこんな実話があります。

 

やはりこの団体さん同士で結婚されたカップルが、

わたしの過去の知人でいました。

 

その人たちはお節介な人の「紹介」で知り合い、

ふた月程度で一緒になったそうですが、

ご主人が結婚三か月後に他界されたのです。

 

それを知らせてくれた本人は、

なんとメールででした。

 

「結婚してちょうど三か月後に旦那さんが亡くなりました。

これから頑張っていかないといけないな~」(ほぼ原文)

 

驚いたのは知らせられたこちらの方です。

慌てて電話をしましたが、

なんとも淡々と、メールで知らせてくれた文面の内容を、

実際に聞かせてくれただけな記憶がありますね。

 

気丈な人と言えないことはないでしょうが、

わたしの見方は少し違います。

 

人間関係をきちんと育ててもいない状態で結婚した間柄では、

人間らしい、いわゆる「情」の湧きようが足らない気がするのですね。

 

極端な話、

相手は自分の目的を果たすためだけの存在に過ぎないのでは?


相手に「条件」を求めるって、なんなのでしょうね。

 

逆に、

自分がそういう立場で見られているとしたら、どう思うのかなと

このテの話を聞くたびに、いつも思うことではありますが。

他人に嫌われたくなかったら、ひたすら肯定していればいいらしい。

自分の嫌いな人間にまで、

好かれたいと思う人の気持ちがわたしにはわかりません。

 

百歩譲って嫌いとまで自覚できなくても

自分で合う・合わないくらいの判断くらい、

カンタンにできると思うのですが。

 

素朴な疑問なのですが、

合わない人とムリに合わせているのって、

楽しいのでしょうか。

 

群れていないと安心できないと思われる人によく見られる、

「周りの人すべてに好かれたい」

という願望は、捨てた方が楽に生きられると思うのですね。


ところで。

こんな人たちに先日出くわしました。

 

一方的に話している相手の内容を、

聞いている側はひたすら肯定を繰り返す。

 

こういう姿勢を無自覚であっても貫き通す人というのは、

そんなに人から嫌われることが恐ろしいこと

とでも思っているのかなと想像してしまったわけです。

 

別に見聞きしたくてそうなったわけではないのですが、

この人たち、本当に仲良いの?

と思ってしまったのです。

 

仲が良い人や大切な人とは、

お互いに自分の意見を主張しあうのが普通のわたしにとって

その人たちの姿に疑問と違和感が満載でした。

 

別に、話半分以下で他人の話を聞くことが

「人づきあい」と思っている人も世の中多いでしょうから、

わたしが真剣に考えすぎなだけなのかもしれないのですが。

 

他人の熱弁に肯定一点張りで対応

先日飲みに行った時に、

わたしからするとそういう不思議な「お友達」連れを見かけました。

 

カウンターでほぼま隣りの席で、

相当酔いも進んでいたからというのもあったのでしょうか。

周りに目と耳があることを、

すっかり忘れているか気にも留めない結構な声のトーンで、

こちらが遠慮したところで丸聞こえだったのです。

 

とはいえ正確には、

わたしのパートナーの方がきちんと聞いていたようでしたが。

 

わたしが聞こえていたのは、

一方的に話している女性の話を、

聞いているのか聞かされているのかわからないもう一人の女性は、

どんな意見であっても肯定しかしていなかった点でしたね。

 

「そうだよねぇ」

「わかるな~そうなんだよね」

の、基本2パターンを、

少しばかり単語を変えて繰り返していましたね。


その日は時間も日付が変わるまぎわか、

すでに変わっていた頃でもあって、

その人たちはすでにどこかで先に飲んできたような様子でしたので、

2人揃って適当に話をしていただけ

というのもあったとは思いますけれども。

 

わたしは断片的にしか耳に入ってこなかったのですが、

笑いを噛み殺し続けていたわたしのパートナーの方が

よほどきちんと話に耳をそばだてていたようです。

 

それによると、

「お金に細かい男性が許せない」

「だからと言って、金銭感覚が備わっていない男性は、

頼りがいがなさすぎて許せない」

と、

その熱弁をふるっていた女性は、

なにか個人的な感情でもあったのではないか

と思う話だったそうなのですね。

 

「男のクセにって言いたくはないけどさぁ」

と、そこはひと際熱も声のトーンも上がっていたので、

それだけはしっかりわたしも記憶しています。

 

ある意味複雑な相談を、そのお友達と思しき女性に、

おそらく聞いて欲しかったのではないのかと。

 

我が家はふたりそろって妄想好きなため、

直接相談を持ちかけられるような話の伺いかたでなくとも、

そういう想像をたくましくしてしまうクセがあるのです。


でも聞き役に回っていた女性は、

先ほどの2パターンを繰り返す一方で、

自分の意見らしきものを何も言わなかったそうです。

 

水を指したら嫌われてしまうと思っていたのでしょうかね。

もしくは言いたいだけ言わせておいて、

すっきりしてくれるならそれでOK。

 

それはそれでおしゃべりとしては成り立つのでしょうが、

ホントに仲が良いのかな、この人たち

と思ってしまったポイントはそこにありましたね。

 

聞き上手は「イエスマンではない」ですよ

わたしの過去の知人にも、

他人の話を物理的に聞くだけに終始して、

その人の意見というものをまるで聞いたことのない人がいました。

 

この人の場合は

自分の意見を言ったら嫌われる、という考えすら持っていない

ように感じる人でしたが。

 

あまりに自分の考えを持っていないためなのでしょう。

考えてみたらこの人のリアクションも、

「(ひたすら)肯定」で固定されていたことを思い出しました。

 

自分を大事にして、傷つきたくない、

そう思うから不安になるんだよ。

岡本太郎 

 

そんなことを思い出していたら、

先の女性2人連れの聞き役の方は、

他人に嫌われたくないその一点で、

他人の話を肯定する姿勢に終始する

を処世術としてでもいるのかなと思ってしまったのですね。

 

深読みのし過ぎですが。

 

単にめんどくさくて適当に話を合わせていただけかもしれませんが。

 

可能性としてはその方が高いように思いますね。

愚痴を言いたいだけの人の話って、

はっきり言って退屈は退屈ですからね。

 

その前に、

自分でどうにかしたい不満を自覚している人は、

それを他人に聞いてもらう暇があったら

勝手に自分で動いているはずなのです。

 

やるべきことは自分が一番わかっているというとですね。

 


話が逸れました。

 

他人の話を聞くのが上手な人は、

愚痴や不満を言わせる一方ではなく

それを言っている本人に考えさせることや、

気づきのヒントを与えるような受け答えをしている人

なのではないでしょうかね。

 

そこに必要以上の他人から好かれたいとか嫌われたくないとか、

くだらない計算をしていないように思うのですね。

 

嫌われたくなかったら、きちんとその人に向き合う、

それだけでいい気がします。

 

否定されるだけの人に話を聞いてもらおうというのは

普通の人情としては避けるはずだと思いますし。

 

肯定される一方ではバカにされているのかと感づくはず

と思うのですが、違うのかな~。

 

人間関係って量より質だと思いますよ。

個人的にはですけれどもね。

自分の名前が好きだと、人生得をすると思うのです。

わたしは自分の生まれた身内すべてと絶縁状態の人間です。

さらには離散状態と言ってもいいくらいです。

 

本人は無自覚ですがその原因を作った親に一点だけ、

無条件で感謝できることがあります。

 

わたしは自分の名前が理屈抜きに気に入っています。

 

子供の頃、命名の由来を親に聞いたことがありますが、

その印象は「適当」の二文字でしたね。

 

良く言えば

「インスピレーションがわいたから即座に決めることができた」

と言えなくはないのでしょうが、

子供ながらにかなり落ち込んだ記憶があります。

 

その当時の近所にいた知り合いの男性に

わたしの名前と一文字違いの人がいたそうで、

親の感覚では「響きが気に入ったから」だとかなんだとかで

「これいいや」と

なったそうです。

 

「これいい」

ではなく、

「これいいや」

だったそうです。

 

由来なんて聞かなければよかったなと

今でもそれだけは思っています。

 

が、経過はどうあれ本人が気に入っているのですから、

結果オーライと言えるでしょうね。

 

自分の名前を好きな人は周りに良くしてもらえるはず

ところで、わたしのように自分の名前を気に入っている人間は、

それだけでも幸せだなと素直に思ってしまうのです。

 

わたしの身の周りにいてくれる親しい人はほぼ、

自分の名前を呼んでくれるからです。

 

あなたはご遠慮願います

という例外もおいでになりますが、

だいたいの人がある程度の付き合いになると苗字ではなくなりますね。

 

自然にそう呼んでもらえるわけです。

他人様に強要したり指定したり催促したりしたことは、

ほぼありませんね。

 

これは素直にうれしいことです。

誰でも自分の名前は大事にしているはずですからね。


それとは真逆な話としていいのでしょうが、

こういう人も世の中にいます。

 

自分が属しているコミュニティなどで、

「誰も自分を名前で呼んでくれる人がいない」

と不満を漏らす人です。

 

始末に悪いのが、

「(本人以外の)〇〇は、名前で呼んでもらえるのに」

と、名指しで引き合いに出して不満を述べ立てることです。

 

群れていないと安心できないくせに、

自分都合で自分より「格下」と勝手に思い込んでいる相手が、

その人にとってよりも「周りに優遇されている」と

勝手に嫉妬している

というのが正確なところだと思うのですが。

 

めんどくさいですね。

どうしてこうじめついていられるのでしょう。

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それでその不満の陰に隠した嫉妬をしている人間の、

日常的な口ぐせはこうです。

「自分の名前がキライ、気に入らない」

 

なにも難しいことではありません。

 

単なる自業自得

当たり前の結果を自分の言葉で引き寄せているだけですね。

 

それこそその人も、

「親に適当につけられた」

と主張し続けていますが、

別に現代のキラキラネームのような悲惨な名前ではないわけです。

 

決して初見で読み違えられることもなく、

まずもって「読めない」とならないだけ、

他人様の記憶や印象に残りやすい気がするのです。

 

【参考】当たり前の名前をつけてあげるのは親の責任じゃないの?

 

わたしから言わせてもらえば

カナと漢字を組み合わせた名前というだけで、

「気に入らない」だの「キライ」だのと自ら言っていれば、

よそのどなたが愛着を持ってくれるというのでしょうね。

 

自分のことをキライと公言している人間が、

周りからも大切に扱われないのと同じ理屈だと思うわけです。

 

自分で自分を大切にしなかったり、

好きになれなかったりなどしていたら、

そういう自分と同じように自分を扱う他人を

自分で呼び寄せているだけなんですけどね。

 

自分大好きは周りのためにもなりますよ

本人に自分の名前が好きかどうか、

聞いたことはありませんが、

それなりに接しているうちに

言われなくても名前や愛称で呼びたくなる人っていませんか。

 

また、誰にでもできることでも許されることでもないのですが、

一人称を自分の名前で呼ぶ人でも

まったくイヤミがないどころか、

かわいらしかったり似つかわしく聞こえる人っていませんか。

 

わたしは個人的にこういう人がとてもうらやましく思いますね。

特に女性で「一人称が自分の名前」で許される人は、

シンプルに圧倒的な人徳の差に尽きる気がするのですが。

 

そういう人たちは、

本人が持っている雰囲気や愛嬌が、

周りの他人を動かしたり納得させたりするんだろうなと思って見ています。

 

そういう人は素直に感情表現できたり、

いるだけで周りを明るくさせたり、

空気を軽くさせたりできる共通項がある気がします。

 

そういう人の言動をそれとなく見ていると、

根拠なしに自分が大好きと全身が物語っていますね。

 

自分を好きに「なる」とか「認める」とか、

そういう考え方自体が本来不自然なわけですから、

自分が好きなのは根拠なんてなくていいわけです。

 

どうせ付き合うなら、そういうわかりやすい人の方が

個人的にはとても望ましくて好ましいなと思いますね。

 

「ばら撒き用」の土産なんて要らん

たまにいるんですよね、

こういう人。

 

行った先自慢をしたいだけなのか、

よほどお金が余っているのか、

「いかにもばら撒き用」のお土産を

平気でよこしてくれるお人が。

 

ひねくれた考え方や見方をすると言われても

まったく構わないのです。

 

人に物を差し上げる場合、

「なんでもいい」とでも思っているようにしか思えない人の感覚が、

わたしにはわからないのです。

 

「気持ちだから」と言うのは、便利な言葉ですよね。

 

もちろんその言葉どおりの場合もありますが、

相手に伝わるような「気持ち」の使い方をしているのかと

疑問に思うことが本当に多いのです。

 

自分都合の「証明」はご遠慮いたします。

自分の親の知人で、

「自分は要らないからあげる」

と、平気で口に出してものを持ってくる人間を

実際目の当たりにした時があります。

 

まぁ自分の親がなめられているから、

とも見えなくはないですが、

そういう人の神経って、どうなっているのでしょうね。

 

どうもこうもなく、ひと言無神経でいいのですが、

程度の違いくらいでそういう人って、珍しくないと思うわけです。


また、「行った先自慢」だけがしたいとしか思えない人もいます。

たとえば、自分の実際の知り合いに、

行った先々のゆるキャラなり、ご当地キャラのキーホルダーを

必ずよこしてくれる人がいました。

 

意味不明なのです。

 

その出かけた場所に「実際行ってきた」という、

証明でも周りの人間にしたいのかとしか思えない

それは見事なワンパターンぶりで、

「おみやげあるから今度会おうよ」

と声がかかると、全力でシカトをし通して振り切ったことがあります。

 

それでわかってもらえたのか、

単に付き合いの悪い人間と判断されたのか、

一切いただかなくなりましたけれども。

 

こちらの言い分としては、

自分都合のコレクションを、他人にまで押しつけないで欲しいわけです。

 

知人レベルに求めることではありませんが

わたしの好みやらを熟知してくれていて

と言うわけではまったくなく、

完全に「本人都合」なのですね。

 

勝手に自分でコレクションを増やしているだけなら

なんの問題もないのです。

 

なによりその前に、

壮大なムダ遣いをしている感覚って

こういう人には備わっていないものなのでしょうか。

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ちなみにその人は、わたしとはまるで人間の属性が異なり、

30半ばを越しても大勢の「趣味の仲間」と頻繁に集まるのが大好きな人です。

 

わたしの言葉に変換させてもらうと、

「群れていないと安心できない」人に見えるわけですけれども。

 

社交性があるんだなと、

わたしにはとてもマネができないことです。

 

マメはマメな人だと思いますので、

そういうお仲間にももちろんお土産を配り歩いていないわけがない

と勝手にわたしは思っているのですね。

 

膨大な支出を毎回出かけるたびにしているはずなのです。

 

もったいないとしか言いようがない。

 

お金がよほど余っているんだろうなと、

わたしにはこれもとてもマネできないことです。

 

自分都合の「証明」は結構ですから、

もう少し物を選ぶ目を磨くなり、自分のために投資したらいかがかと、

勝手に思っていますね。

 

勤め先にお土産なんて不要です

また、会社勤めをしていると、

単なる権利の行使にもかかわらず

「お休みをいただいてありがとうございました」

と、口にまで出してしまう人が存在します。

 

わたしのような社会不適合者にとっては、

腰を抜かすような話なのですね。

 

「せっかくの休み」を「いただいた」

という感覚なのであれば、

会社の人間へのお土産など、どうして頭に入れておく必要があるのでしょう。

 

実際出かけたとしても、黙っていたらいいじゃないか。

 

せっかく行った旅行やらお出かけの楽しみが、

半減どころか限りなくゼロになってしまうではありませんか。

 

どうして休みと勤めの仕事を分断して考えられないのか、

不思議でしかたないのですね。

 

会社に自分がいないとダメだと本気で思っていたりするのか、

ただの当たり前の権利の行使だというのに、

「穴を開けてすみません」

とかどうして言ってしまったりするのでしょう。

 

正直過ぎは美徳ではありません。

 

誰もあなたのことなんて責めたりしないじゃないですか。

 

また、別に誰が抜けたところで、

その代わりなんていくらでも稼働するじゃないですか。

と思うのですが、

日本人勤め人の大多数が大好きな、

同調圧力の被害妄想でいっぱいになってしまうのですかね。

現在のわたしにはまったくない感覚です。


ちなみにわたしは旅行へ行ったとしても、

会社に「報告」したことなんて一度もありません。

 

前の会社にいたときは、

異常な詮索好きの人間に監視されていたため、

自分の有給をただ使っているだけにもかかわらず、

「どこか行くの?」

正面から聞かれたことがありましたけれどもね。

 

【参考】集中力と注意力は、バランス良く。

 

なにかその人に、

わたしのスケジュールが関係したり影響することでもあるのでしょうか。


ちなみにそういう人は、

自分のスケジュールをスケルトン状態にするのが大好き

としか思えないような開示ぶりでした。

 

自分がいないと会社が回らないと、

本気で思っていた人のようですからね。

 

帰ってきた時にそれを待ち望んでいたというような、

周りのリアクションが欲しかったのだろうなと思いますね。

 

めんどくさ。

 

そういう人が

「はい、お土産ね」

と、どういうわけか得意気によこしてくれるのは、

駅で間に合わせに買うような「いかにも」なものでしたけれども。

 

押しつけられても「要りません」と言えない同調圧力下に置かれて、

仕方なしをひた隠しにしていただく側の苦労、

わかっているのでしょうか。

 

こっそり捨てるのに、どれだけ苦労したと思っているのでしょう。

 

自分都合の、自己満足なバラマキなんて要りません。

 

自分や自分の大切な人のために、

その余計な支出をどうぞ回してください。

 

正しいお金の使い方とは、そういうものではないのでしょうか。

 

「心の声」を抑えつけてモヤモヤするのはやめましょう。

自虐的な人に出くわす事ってありませんか。

 

わたしはぐずぐずしていることがキライなため、

そういう人は基本的に得意ではありません。

 

せっかちなのもあってすぐにイラついて、

で、どうして欲しいの?

と突っ込んでみたくなることはありますが、

基本話を伺うことは控えています。

 

でも近頃の自分の周りにいる人にその例外がいます。

 

付き合い自体は短いのですが、

なんとなくフィーリングが合うとこちらが感じているせいか

それが伝わるのでしょうね。

 

それで相手もおそらく安心してしゃべってしまうのでしょう。

 

わたしは無力ですのでどうして差し上げることもできませんが、

常識をわきまえている人の話なため、つい聞いてしまうわけです。

 

「過去の栄光」なんて邪魔なだけ。

学校が終わってから勤めた職種と、

おそらく会社自体も、

その人にとっては「過去の栄光」として手放せないものがあるのでしょう。

 

失礼過ぎるので、

直接そう言葉として聞いたことはありません。

 

ただ相手が一方的に話してくれる内容を繋ぎ合わせると、

カンタンに感じ取れるものがあるわけです。

 

どういう経緯を辿って現在の「境遇」になったのか、

それも推測するだけで聞いてはいません。

 

おそらく突っ込んで欲しいのでしょうが、

聞いたところでわたしには対処できないので聞かないのです。


今の状況に不満があってもどうにもできない自分にイラついている。

 

それを表には出さない代わりに自虐的になる。

 

どうにもできないと勝手に「思い込んで」いて、

こんなもんだと諦めるのを自分に言い聞かせようとしている。

 

よほど物を感じない人間でなければ、

話のしかたからありありとわかるわけです。

 

不自然な思考ですね。

疲れるでしょうね。

 

要らないものなんてすぐ捨てるわたしにはムリです。


具体的にその人の発言を引用すると

「自分はダメ人間ですから、それを極めるのが人生の目的かな~」

「とりあえず自分の好きなことをできているだけ、それで満足しているんです」

「〇〇(※ご自分の名前)って名前の人間は、おかしな人が多いんですよ」

「30過ぎてもまともに社会に適合できないんですから、終わってますよね~」

など、

まぁひと言で言うなら

めんどくさい人

なのですね。

 

誰にもダメ出しされているわけでもないのに、

そういうことを自分から言うことで

他人に否定して欲しい感がみなぎっているわけなのです。

 

甘えてますね。

そんな優しい他人、いないと思いますよ。

 

最初はわたしもめんどくさい人だなと思って、

まともに話を聞かないようにしていましたが。

 

それなりに観察していると、

その自虐発言をしない時のその人は、

けっして救いようのない人とは言えないのです。

 

話していてテンポの良い会話ができるし、

ぐずぐずしているのは表面だけで、

根っこからじめっとした陰性なものを感じないからですね。

 

自分でそこまで卑下するのは、

現在の周りと自分を比較しているからではないわけです、おそらく。

 

過去の自分と、過去の自分の周りにいた人が、

その人にとって比較の対象になっているんだろうなと感じるのですね。

 

比較したところで自分が不幸になるだけなのに。

 

なんて正論を他人が言ったところで、

本人が言葉として聞いたことがあるだけ止まりになるでしょうね。

 

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この人も間違いなく、

失敗が少ない人生を送ってきたのでしょう。

 

だから「過去の栄光」を手放せないフシが

不用意に言葉のはしばしに出てきてしまうのでしょうね。

 

すっきりするまで自分に向き合うって、絶対外せない作業ですよ

一個の道具のように自分を分析しなさい。

自分自身に対して

百パーセント率直でなければなりません。

欠点を隠そうとせずに、

正面から向かい合うのです。

オードリー・ヘプバーン

 

個人的に思うことですが、

本当に「ダメな人」というのは、

本人にその自覚は限りなくないに等しいくらい薄いということです。

 

自虐的な物言いはめんどくさいだけですが、

口に出せていること自体、どうにかしたい表れだと思うのですね。

 

本当にダメな人は悩むこと自体放棄しているはずですからね。

正確には、悩みもできないんじゃないんでしょうか。


日常に振り回されてその時々に反応してしまうと、

自分の心の声が自分に何を訴えているのか聞こえなくなるでしょうが、

モヤモヤしている状態って、単純に気持ち悪いはずなのです。

 

すっきりしないことの原因を突き止めるのって、

自分に向き合うことしかないでしょうね。

 

他人は話を聞くだけしかできないので、

他人になにか期待されてもなにもできません。

と思うのですよね、わたしとしては。

 

本当は不満に思っているのに、抜け出したいと思っているのに「これでい

いんだ。これが自分の人生だ」と無理やり自分に言い聞かせて過ごすよう

な人生は、絶対にまちがっている。

 

わたしの好きな一節ですけれども、

この人には、ぜひここまで自分と向き合っていただきたいものですね。

 

話はそれからだ。

 

夢をかなえるゾウ