学校という「従業員養成所」

学校の成績なんて社会では役に立たないと思うのです

学校に一生懸命マジメに通っていい成績を修めたら、いい会社に入れる

という幻想は、いつ時代のものなんでしょうか。

 

ちなみにわたしは高校生の時に、

大人に都合の良い意味での「いい子」であったことがあります。

 

ただ学校の授業はつまらなくて、

年間平均30日は間違いなく休んでいたり、

遅刻したり早退したりは数知れず、と

書類の面では真っ先に除外されるいびつな「いい子」ではありましたが。

 

今さら何の自慢にもならないことを承知での話ですが、

その当時の教員の言うとおりに「お勉強」をしたため、

点数だけは取れる子どもだったというだけです。

 

とりあえず進学を目的とした学校だったので、

そのためのカリキュラムがしっかり組まれていて、

教員という職業に就いている大人の導くとおりにお勉強をしたら、

その校内だけでは「大人が喜ぶ」点数を獲得できた、

というだけの話です。

 

自分で頭を使ってやること(と果たして言えるのか甚だ疑問ですが)と言ったら、

その時々の習熟度に応じた参考書を選んで、

「記憶する」ことだけだった気がします。

 

言ってしまえば、

「考えること」はまるで行わなかった

ということにもなるでしょうね。


その当時は
「自分ってやればできるんだ!」
と、確かにある意味では決して間違ってはいない成功体験をしたことになりますので、

誰にも順位(という訳のわからない基準)では抜かれることのないまま、

卒業に至ったことに、優越感を感じていたことは確かです。

それも、小さくて狭い校内の中だけで、です。

 

(その後進学した大学ではオリエンテーションの時点ですでに、
 「来なければ良かった」
 「辞めたい」
 と心底からは思った“だけ”のまま行動に移さず、
 4年間時間を浪費した大学生活になりましたし。
 これは自業自得な感もありますからここでは割愛します)


学校の成績が何の役に立つのやら、

自分が経験したことを振り返ったりそれに即して考えたりしても、

社会に出てからさっぱり用をなさないものだと今さらですが実感しています。

 

学校は思考停止にさせられる場所だと思うのです

受験当時でも、

「こんな事を覚えたところでどうするんだろう」

という疑問は大いにありましたが、

なにせ巧妙で時間をかけた学校教育という洗脳にかかっていては、
「先生」の言うとおりに勉強をするのが正しい

が刷り込まれていますので、

他に選択する頭・考えが、気の毒なことに当時の自分にはなかったわけです。

 

そのくせ、小中学生の頃まで記憶をさかのぼると、

決して「お勉強」のできる子供ではなかったのです。

点数で言うとまさに「平均」。それ以上それ以下でもなかったですね。

その当時の記憶では、学校の授業や宿題が楽しいと思って励んだことは、

おそらくほとんどなかったと思います。

 

むしろ、高校生になってから全くなくなってしまった読書の習慣が、

その当時は自分にとって当たり前のものとしてありましたね。

 

大したものを読んでいた記憶はありませんが、

「テストの点数は取れないのに読書の習慣は素晴らしい(趣意)」

との、学校の教員らしい評価を

小学生の高学年くらいの担任に頂戴したことがあります。

 

教員にとっては「点数」、つまり「正解という大人にとって都合の良い答え」が

絶対正義なわけですから、個人の主観で褒められることがあったにしても、

手放しでそれをするわけにはいかなかったのでしょうね。

 

学校で施される「教育」は洗脳と同じでしょ

なにを今さら、と思うかたもいらっしゃるのは承知のうえですが

学校という場所は、従業員の訓練施設の別名という現実は、

ご存じのかたも多いはずです。

 

わたしは個人的に、

ふたつ、それもかなり性質の悪い洗脳下にいた経験があり、

それを自力で解除したことで、

洗脳から自分を解放することに慣れてしまった感があります。

 

自分が受けてきた学校教育の実態の詳細を知っても、

「ふ~~ん」と口も開けない反応をするくらいです。

 

信じられない、ということではなく、

そのとおりでしょう、と合点が行くからですね。

 

ですがその洗脳に違和感を持たないままでいると、

死活問題になる世の中なのではないでしょうか。

 

そんな話の感想や気づきなどを、今後に続けたいと思います。