「拘束される」違和感をマヒさせない

やることがないほうが得をすると思う?

過去、自分も含め身の周りにいた人に、こう言っていた人がいました。

「やることが特になくても仕事に来ればお金になるから」。

 

繁忙期はともかく、

出勤すればとりあえず給料には差し障りがないし

やることが特になくともいるだけでいい

と、口にこそ出して言わないだけで全身で表わしていた管理職の人間が

実際過去の職場にいました。

 

過去のわたしはそういう類の人間に嫌悪感丸出しのタイプでしたが、

近頃では見方が変わってきましたね。

思考停止のまま年だけ食ったら、

のちのち困るのはその本人なので、他人が余計な心配をすることはない。

自分の感情に左右されずにものを観察すれば、ごく当たり前のことですね。

 

嫌悪感を相手に発するだけでも結局自分が疲れますので、

ムダなことはしないのが一番なわけです。


また、自分固有の仕事ではなく他人のために働いているのに、

忙しい方が好きだと勘違いしていた自分にも、

近頃気づくようになりました。

 

「あっという間に一日が終わった・・・」

それはそれで、充実していると感じたことももちろんありますが、

帰宅後には自分の自由な時間が残り何時間しかない、

それを仕方ない・もっと言えば当たり前と思う方が異常だということですね。

 

拘束されている時間が同じなら、忙しかろうがヒマだろうが、

自分のための仕事に時間を使えないわけで、結局は同じだということです。

 

自分に起きた現実の捉え方を変えてみる

最近の自分の感覚としては、

「勤めに出て拘束されている時間がもったいなくて仕方ない」

ですが、

この感覚は子供のころに経験済みのものだとも最近気づきました。

 

学校に行っておもしろくもない教師の授業を受けさせられている、

あの感覚です。

 

自分が何に対して興味を持っているのか確かめられもしないで

一方的に話を聞かされ、時間が経つのを我慢して待つ。

 

時間の経過だけが自分の意識の注力先。

いつもがそうとは言いませんが、ほぼそんな状態です。

そういう状態でも自分のものの見方の変えようで、

今まで気づけずにただ見ていたこと

も気づきの元になることがありますが。

 

【参考記事】http://chokkan-dokoro.com/entry31.html

 

 

それにしても学校の規則というのは、

「監禁」に他ならないのではないでしょうかね。

登下校の時間も、休憩時間も、食事の時間も、

なによりも「時間割」というルールも、

全部他人に管理されたものに問答無用に従って時間を過ごすことでしょう。

そこに自分の頭を使って考える隙間も機会もほぼ与えられませんよね。

 

学校と無縁の歳になってから言っても仕方ないのですが、

つまらなければ自由に帰っても良いルールでもあれば、

学校も捨てたものじゃなかったのに

などと思ってしまいました。

 

幸いなことに、自分に今起きている現実に偶然はないそうですね。

「不満に思っているには必ずなにかある」

としつこくその「なにか」を探した結果、

わたしが今勤めている会社に行ったのには自分の意識を変える必要があったため

が答えだったと、最近ようやく気づいたことでもあります。

 

「従業員のままでいたら、自分の欲しい自由が絶対手に入らない」

ということでしたね。

意識というか、ものの考え方といったほうが正しいかもしれません。


話は逸れますが

わたしの場合、23歳で早々に薬害で世間のレールからドロップアウトしました。

なので、「勤め先から受ける恩恵」に浴した経験がほぼないに等しいわけです。

 

落伍者意識にどっぷり浸かった、

薬害の真っ只中にいた時では考えられるわけのないことですが、

その恩恵を逆に知らないことで

従業員意識の洗脳を解くのになんら抵抗がなかった

と最近では考えられるようになりましたね。

 

平たく言うと、先に良い思いをしなかったことが楽に洗脳を解いた

ということでしょう。

 

薬害なんぞで命に関わるような目に遭わないなら

もちろんそれに越したことはありません。

でもそれが、

人生を絶望するだけに作用するアクシデントではない

ということに気づけただけ、

経験して良かったなと近頃では思います。

 

勤めの仕事で拘束されるのは当たり前、ではない!

薬害の回復期で苦しんでいた時、

あまりにもやることややれること自体がなくて時間の経過が拷問のようでした。

 

苦しさ悔しさその他、さまざまな感情の程度は次元が違いますが、

時間の経過を待つのが勤めの仕事の実態

といってもいい感覚になったのが、自分としては正直驚きでした。

 

勤めている分際では拘束時間の自由が利かないからですね。

 

勤めが終わった前後や「休日」の自由な時間の使いようとその積み重ねが、

自分の望む自由を手にできるかどうか決まる大きな要因のひとつだとのこと。

心していきたいものです。

 

時間を浪費するな、人生は時間の積み重ねなのだから。

ベンジャミン・フランクリン