読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

学校教育を叩き込まれると自分の頭で考えることを「知らない」人間になる

大多数の現代人は学校教育の「信者」

以前の会社にいた時の話です。

大学受験を控えたお子さんを持つ親をしている年代の人が

(一応の)同僚に数人いましたが、

その人たちが寄ると触ると話している内容はこんなことでした。

 

「とりあえずどこでもいいから浪人だけは避けてもらわなくちゃ」

「進学してもらえさえすれば、心配が減るのよ」

「いい会社に就職するために大学くらい出さないとね」


・・・。

わたしはその会社では年齢が最も若く、

早い話がそういう年代の短絡的な人間区分け法によると

年少者でかつ未婚だという理由だけで

「話してもわからないし相談相手になんてならない」ため、

直接参加をしたことはありませんし、

参加を強制されたこともありません。

 

が、

とにかく仕事中でもお構いなしに話すような

無節操な人たちがほとんどだったので、

聞きたくなくても耳にはイヤでも入ってきていました。

 

すでに無関係なかたがたの話なのですが、

未だにそんな学歴信仰重視で子育てしてるんだと、

この人たちのお子さん含め、気の毒だなと今さらになって思います。

 

そんなボヤキも遠まわしな自慢の一部に過ぎないくらいわかりますが、

それにしても「どこでもいいから」なんて、

教育費に糸目をつけないでいられるのでしょうから、

それはそれである意味尊敬してしまいます。

 

でも進学した後の方が心配や悩みがリアルに表面化して、

そのタネが増える気がするのはわたしだけでしょうか。

 

「浪人だけは避けてもらわないと」

というのは、

お子さんのためではなくご自身の世間体のため

だというのが露骨に表れていて、

どうでもいい人の発言ながら多少不快に思ったことがありました。

 

たとえそれが無意識であっても、です。

 

なんでも「新品」でないと価値がない世の中という自体

そもそも異常なのですが、

親であるその人の考え方の根本がその発言に表れていて、

親としての体面を子供に損なわさせないようにする根性が

個人的に気に入らなかったのだと今でも思いますね。

 

その中に、お子さんが「受験を無事に突破した」後の話まで

間接的に聞かせた人もいましたが、

よくある話どころの話ではない内容はこんな感じでした。

 

「大学に入ったらバイトばっかりして授業なんて行ってないと思うのよ」

「髪も茶髪にしちゃって」

「家(お子さんからしたら実家)から出したら帰ってなんてこないんだから!

帰ってくるのはお年玉もらうためだけになのよ」

「親は生活切り詰めてるのにそんな意識なんて全然ないんだから」

 

まったく、

お子さんの親離れもさることながら

子離れできていないのって恥ずかしいと思ってください

と思う義理なんぞまったくないのですが、そんな報告を職場でしていましたね。


高校生まで髪の色もいじらずなんて、

いつの時代に生きてる優等生ですか。

子供は親の所有物ではありません。

人権を認めて意思を尊重してあげていただきたいものです。

 

また、学生になってもお年玉をあげる親って、どんな親ですか。

個人的には受け取る方もどうかと思いますが。

 

学費出してあげているだけでなく、

話を聞いてる分には生活費も当然出してあげていて、

お年玉まであげるとなると、

普段の小遣いまで援助してあげているのは間違いないでしょうね。

 

愚痴のかたちをとった回りくどい自慢にしか聞こえないのですが、

そんなことをしていたら現在のような状況にはなるでしょうね。

生活を切り詰めなくてはならない学校を選んだ・選ばせたのは、

親であるご自身でもあるのではないでしょうかと

考えたことってないのでしょうかね。

 

子供の特性を把握していない親だから学校に子供を丸投げする?

そんな事をここで偉そうに言っているわたしも、

高校や大学になんて行った年代は

先ほどの元同僚のお子さんと同じような人間でした。

 

今考えると本当に恥ずかしいし、情けないですし、

自分の頭で考えない学校教育を叩き込まれた結果に背筋が凍ります。

 

わたし自身も自分の頭で考えて進学を決めたわけではなく、

  • 目的もなくそういう学校に行ってしまったから
  • とりあえず授業内容が進学を目的に据えたカリキュラムを組んでいたから
  • 授業内容そのものは退屈だったけど他にやりたいことが見つからなかったから
  • 教員の言うことを聞いて勉強に励んでみたら成績が取れてしまったから
  • 成績が取れたらそれを維持したい欲が出てきたから

 

改めてこう書いてみると、自分の意思でもって何を学びたいのか、

ひいては何になりたいのかまったくわからないまま、

惰性で勉強していたとしか言いようがありませんね。

 

しかも実社会で微塵も役に立たない勉強に3年間も

「マジメに」時間を費やしたわけで、

そのあと4年間はさらに時間を食いつぶして終わったわけでして。

 

後悔しても遅すぎるのですが、

同じマジメなら学校の勉強なんてしないで本を読んで、

ちゃんと事実を教えてくれる本をしっかり読んでおきたかったです。


また、自分の親も進学のことや将来の職業について、

まったく相談相手にはなってはくれませんでしたね。

 

口出ししないと言えば聞こえはいいですが、

実際はアドバイスのしかたもその知識も持っていなかったのでしょう。

過干渉な親に比べたら、遥かにマシな親には違いなかったと思いますが。


勉強は放っておいても勝手にする子供ではあったので、

ガミガミと命令された記憶はほぼないですが、

「とりあえず学校に行っていればいい」

「大学くらい出ておかないと箔が付かない」

くらいにしか考えておらず、実際にそう口にも出し、

なんのために学校に行って勉強を修めて、

どんなことにそれを役立てるかなどの指針は

まるで示すことはできなかった親でしたね。

 

行けばなんとかなる、

学校がなんとかしてくれる

と親も、当事者の自分もそう考えていたと思います。

 

学校に丸投げしておけば無条件に安心する考えに汚染されていたためか、

自分の子にどんな能力があって、なにに向いているか、

まったく把握も見抜けもできない親であったと思います。

 

また、わたし自身も学校は知識だけでなく、

方向性も授けてくれるところなどと

とんでもない勘違いをしていた

と、

今になってはっきりわかりますね。

 

思考停止、他者依存。

自分の頭で考えることを知らないとこんな風になる、

いい実例だと思います。

 

まぁ学校というのはそういうところであるわけで、

そこへ行っても汚染されないためには、

教員や学校の定義するところの「劣等生」にならないと

回避するのはほぼ不可能だというのが、

最近になってよくわかりました。

「劣等生」とは、教師の示した考えに抵抗し、何をいつ学ぶのか、自分でそれを決めようとする生徒の事だ。教師としてはそうした生徒を野放しにしておくわけにはいかない。

 

逆に「優等生」とは、

大人の都合のよい子供でいることなわけですね。

なんの役にも立たない勉強をすることに反発せず、従順に取り組む、

手間のかからない子供のことを指すようです。

「優等生」とは、教師が示した考えにほとんど抵抗せず、適度な熱意をもって、それを受け入れる生徒のことである。何をいつ学ぶのか。教師が決めたことに従順で、他のことには興味を抱かない。


学校が国や企業に対して画一的な人間を製造する場所、

という現状では、よほど強固な意志の持ち主でない限り、

その洗脳から覚めるのはなかなか難しい課題だと思いますね。

 

 ※引用元:ジョン・テイラー・ガット バカをつくる学校