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「学校はどこを出たの?」と聞きたがる人って・・・

先に言わせていただくと、

「大きなお世話だ」

のひと言で切り捨てたくなる愚問の筆頭に挙げられる

のではないでしょうか。

 

先日、聞くともなく耳に入ってきた他人様の会話で、

あまりにも野暮ったい質問をする人がいて、

まったく無関係ながら、うんざりしてしまったことがあります。

「お宅のお子さん、学校は(どこの出身)?」

 

言っていいでしょうか?

聞いてどうするんでしょうね。

 

純粋な興味?

ヤジウマ根性の発露?

詮索?

身辺調査?

ウワサ話のネタ作り?

無神経?

 

その質問をした人にしかその意図はわかりませんが、

おそらくその本人も、

その質問をする「理由」を理解しているとは思えなかったですね。

もっと言うと、

「なんの考えもなしに言っていた」としか思えませんでした。

その人の中では考える以前に、単純に当たり前のことなのでしょうね。

 

まったくの他人事ながら、

挨拶がわりにそんなくだらないことを呼吸レベルで質問する人って、

いまだにいるんだなぁと、呆れてしまいました。

 

学校でその人となりなんて一切測れないと思うのですが、

どうも頭の固い人、とくくっていいのか、

そういう人の聞きたいことは意味不明なことがほとんどです。

 

 

「学校の名前」が判断基準という価値観

それは別に、

わたしが一生消えない恥さらしな名前の学校を出たから

血圧を上げているわけではありません。

 

聞くほうも聞くほうですが、

答えるほうも適当にお茶を濁せばいいものを、

なんだかなぁと思う正直なお答えでいらっしゃいましたね。

 

わたしに言えた義理ではありませんが、

たいへん失礼な話、「大した学校」とは言いかねるところでしたね。

 

だからと言って、

そこを出たかたが即、

「大したことはない」にはならないでしょう。

 

「大した学校」ではない学校に「なんだかなぁ」ではなくて、

聞く人が聞いたら失礼どころか非常識な質問をされていることに

正直にお答えするいい大人がどこにいらっしゃいますか。

 

聞かれたからにはバカ正直に答えるのがある意味礼儀というのは、

単にお人好しなだけな気がしますが、

自分の子供がどこそこの学校を出たことを披露するのを

なんとも思わない親が、今でも多数を占めているということなのでしょうかね。

 

ちなみにその質問を投げた側は、「正直な」答えを聞いて、

可でもなく不可でもない、興味なさげな相づちを打っていましたね。

 

「そんな程度か」

の反応と受け取られても仕方のない、薄~いリアクションでしたね。

 

肚の中でならどう思おうと勝手なのですから、

もう少し上手にできないものかと思いますね。

 

リアクションが薄いことであからさまに軽く見ているのは隠せなかったわけで、

この人にとっては「学校の名前」が他人様の判断基準ということでしょう。

 

失礼にもほどがありますね。

無神経でないとこういう無礼は働けないとわたしは思いましたね。

聞きたくて聞いたことに答えてもらったのでしょうに、

その失礼の上塗りはなんだと、

まったくの他人事ながら、一人で腹を立てていました。


正直さでは似たもの同士なんだなとは後から思いましたが。

 

学校の名前を借りてきての自慢はカッコ悪いですよ

それにしても

「出た学校」=「その人の判断材料」

という、頭の悪すぎる安直な図式って、どうにかならないものでしょうか。

 

その人そのものをまるで見ていないと思う以前に

いい加減すぎるにもほどがあると思うのですが、

考えてみたら、学校の名前で判断や(都合の良い)評価をするのは、

本人ではなく親である場合がほとんどな気がします。

 

そんな親をやっている人の話し方や言葉の選び方を聞いていると、

「うちの娘の県人会はどうこうで、〇〇大なんですけど」

などと、余計なひと言を必ずくっつけて他人様に聞かせていますね。

 

それもまた

「だから何?」

と言ってやりたくなる言い様で、

言葉として発していないだけで「自慢」の二文字が

これ以上ないほどのいやらしさで露骨に感じますね。

 

それが親だと言われればその通りなのでしょうが、

親の欲目で学校の名前以外の子供の自慢くらい、

ふたつみっつ即座に出てこないのかと思ってしまいます。

親として恥ずかしいと思っていただきたいものです。

 

学校に預けることでカンタンに安心してしまうのか、

教員の適当な「評価」を鵜呑みにするようになってしまうのか、

子供に向き合った観察なんてしていないのを露呈しているように思えますね。

 

ちなみに「最優秀教師」に選ばれた人の話では、

評価に手間も時間もかけていないのが実情とのことですよ。

生徒の家庭には通知表が送られ、テストの点などが報告される。

教師は通知表をつくるのに手間も時間もかけないが、こうした客観的(に

見える)データの積み重ねによって、子どもの自尊心は大きく左右され、

自分の未来は他者の評価にかかっていると考えるようになる。

通知表の目的は、子どもたちに自分や親を信じるのではなく、資格を持っ

た専門家の評価を信じるように教えることである。

 

「優秀だ」という吹聴を学校の名前を借りてするって、

他人に伝わっていそうでほぼ伝わっていないですよ。

 

漠然としていて、その人を実際知らなくても浮かび上がってくるような

具体的なイメージなんて一切できませんものね。

 


大切なのは学校の看板ですか?

関心の高いのは学校の名前ですか?

 

ムダに学校の名前にこだわる、

できれば人の子の「親をやっている大人」のかたに、

是非聞いてみたいものです。

 

 

バカをつくる学校

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