「基本ができていない」のは、誰のせい?

わたしにはテレビを見る習慣がありません。

なので、芸能人と言われる人たちの顔と名前が一致しないなど

日常茶飯事です。

 

先ごろ「話題に」なっていたとかで耳にした話で、

どこぞの女優の二世の俳優(?)が暴行事件を起こしたとかあったそうですね。

 

どうでもいい芸能ニュースの記事を斜め読みしただけでも、

その俳優はひと言、「人間のクズ」でいいのではないかと思いましたが、

話題作りのためにいろいろ尾ひれや背びれをつけて

ムダに話を膨らませる慣習は、いつまで経ってもなくならないのでしょうかね。

(汚い言葉で失礼いたしました)


その事件に関連して

某「大物」俳優が容疑者となった俳優にコメントしたとかいう、

その内容に思ったことがあります。

 

「挨拶もできない、人の話を聞かない。

そういう人間は今に仕事がなくなる」

と「予言」めいたコメントしたとかどうだとかという話です。


予言かどうか以前の話で、

そんなの当たり前だろうと思うのが普通だと思うのですが、

その「普通」もクリアできていない人など

世の中にあふれている気がします。

 

そんな当たり前のことを、

メディアに露出している人で

しかも説得力がありそうなイメージを持つ人に、

言わせないとならない理由でもあったのかと、

素直に同調や共感する前に変な勘ぐりをしてしまう癖がわたしにはあります。

 

それはともかく、

「普通」や「常識」が通用しない人が多いなとは、

日常いたるところで感じますね。

 

親の顔が「ありありと」目に浮かぶ人たち

わたしの勤め先のビルにはレストランのテナントさんが入っています。

 

そこで働いている学生さんと思われる

若い女性のかたが何人かいますが、

彼女たちに見事なまでに共通しているのが、

「決して自分から挨拶をしない」

ことです。

 

従業員同士なわけですが、

働いている場所が違えば顔を見知っていても挨拶する必要がない

と立て分けて考えているのかどうかはわかりませんが、

見事なまでにはっきりしたものですね。

 

ちなみに擁護するわけではありませんが、

ほとんどの男性のスタッフさんは挨拶くらい当たり前になさいます。

一部例外がおいでになるのはどこにでもある話ですけれども。


その挨拶をする習慣がないと思われる女性に対し

さすがにこちらからは挨拶くらいしますが、

その時も人が違ってもリアクションは同じです。

 

「目を合わせない」。

 

存在には気づいているのは明らかなのに、

視線が泳いでいたり下に向いていたり、

良くて自信のない上目使いをするような見方をするのが

せいぜいと言ったところでしょうか。

 

これはわたしの感覚からすると薄気味が悪いのですが、

あちら側からすると、

すれ違った時だけ顔を合わせる程度の顔見知りなら

声をかけられる方が不気味な気持ちにでもなるのでしょうかね。

確かめる必要なんてまったくないですが、

一度伺ってみたいものです。

 

また、

共有の休憩スペースで見たくはないのに目にしてしまうと

態度が悪い人が多く、というかほとんどで、

自宅での習慣をそのまま外に持ち出していて

内と外との区別ができない、と思うしかない幼稚さを感じますね。

 

品性など求める方がバカを見る気がします。

 

というのも

床で寝転んでいたり、

椅子にあごを載せて床にあぐらで腰を下ろしていたり、

他人が入ってきても1ミリも体勢をずらすなどの気づかいなどするわけもなく、

こちらが、よけてもらおうと思って「失礼にならないように」声をかければ

大げさなため息で反応をするのがせいぜいだったりと、

もう一回同じことをしたら泣かしてやろうかと思うくらいですね。

 

ふてぶてしいという言い方もあると思いますが、

単に無神経なのでしょう。

でも、

「部外者」の他人であれば無条件で「上から目線」になる

というようなお若い方は多く目にする気がしますね。


どういう育てられ方をしたのか、

親の顔が「見てみたい」ではなく、まさに「目に浮かぶ」状態ですね。

 

他人に対して、

そこまでの態度の悪さを助長させる身近な大人を連想すれば、

親かその親が妥当なところでしょう。

 

こういう人たちにとって「しつけ」なんて言葉は

異次元の単語や概念なのではないのかなと

わたしなどは思ってしまいますが。

 

【参考記事】

rioplus.hatenablog.com

 

憶測がベースになった妄想ですが、

その人間性もセットでありありと想像がついてしまう自分が

たまにイヤになりますね。

 

それにしても

見ている方がみっともないと感じてしまうのですが、

当の本人たちはなにも感じないようなので、

きっとそのままで年を重ねていかれるのでしょうね。

 

教育の基礎は家庭で行われるものじゃないの?

話は変わりますが、

知識を授けてくれる場所として学校だけでなく、

塾や予備校など学校教育に関連する組織に

自分の子どもを任せる親は世の中に多いと思います。

 

それは実社会に出て、

何の役にも立たないものばっかりですがね。

 

あなたには学校での実技以外の勉強で、

社会に出て役に立った教科というものが存在しますか?

わたしにはまったくありません。

 

義務教育から高校まで学校に拘束されたとしたら12年間も、

自分の頭で考える必要のないことを覚えるのにだけ

時間を浪費させられていたというのに、です。


そんな現場を経てきたはずの親も、

知識だけではなく、自分の子の人間性の教育まで学校に丸投げしている

という意識を持っているのかいないのか、

他人に預けるとされている年代になったら専門家に預けておけばいい

と簡単に考えている人が多いのではないでしょうか。

 

教育の基礎は家庭にあるとわたしは思う人間ですが、

そんなことはとうに理想論になり果ててでもいるのかなぁ

などと、たまに考えてしまうことの一つでもありますね。