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せいふくこわい

わたしの今の勤め先は制服を着なければなりません。

 

制服のある会社で良かった

なんて思ったことはまずありません。

 

しみったれた話に聞こえますが、

制服のある会社のメリットは

出勤同時に着替えないとならないため、

私服の傷みが少なくなる

くらいでしょうかね。

 

制服の何がイヤかというと、

拘束時間内の外出です。

 

休憩や拘束時間内に買い物が発生したりなどの外出が

個人的にそれはそれは苦痛でイヤなのです。

 

別に他人様に見られたところで、

どこの会社の勤め人か突き止められることなどありませんし

そんな暇な人などいないと思いますので、

完全に自分の気分の問題なわけです。

 

 制服なんて着たくない。

 同じ会社に勤める人間と同じ格好。

 

わたしは就活の時くらいしか

周りと同じスーツなど着たことがありませんし、

制服のある会社に勤めたことも

考えてみたら今の勤め先が初めてです。

 

それが必要な職種になるため仕方のないことなのですが、

実際にやってみると思った以上に苦痛だったのですね。

 

学校の図式とまったく同じの、

「周りと同じもの」を着ることを強制される

その他大勢に溶け込んで個性を奪われる

そんな気がするからです。

 

わたし以外の人はどうだかわかりませんけれどもね。

 

同じものを着ていて

同じ環境に拘束されている人間と同一化するのは

その会社内だけでですね。

会社に拘束されている時間内は

「番号を振られた会社の一部品」と、

看板をしょって歩くような気がするのです。

 

それなのに明らかに「制服」とわかるものを着ていると、

外に出た時に周りから浮いてしまうのですね。

矛盾していますよね。

 

そもそも従業員なんて「取り替えの利く部品」ですが、

それをイヤというほど自覚させる道具に思えるわけです。

 

平気な人は平気で外出していきますが、

わたしは休憩時間でもよほどのことがない限り、

出勤時に買い物なりを済ませて

解放されるまで会社の中に引きこもっています。

 

通勤時でも「制服着用」の人たち

制服と言えば、

わたしの居住している地域では

通勤の行き帰りにも、

どう見ても会社の制服を着ている人、主に女性がかなりいます。

 

サラリーマンのスーツではありません。

会社で支給される制服のデザインには特徴があるので、

どこの会社なんて興味はありませんが

見ればわかりますよね。

 

しかも足元まで自宅から固めて行くんだ・・・

という「ハイソックスとサンダル履きで出勤」などどいう

信じられない強者も見かけます。

 

これ、女性ですよ。

「もちろん女性」と言ったらいいのか、

「ちなみに女性」と言ったらいいのか

わたしにはわかりません。


車社会の地域のため、

自宅から制服を着てそのまま出勤される人が多い

とは過去に耳にしていましたが、

わたしの感覚からすると車社会どうこうは関係ないと思うのです。

それは自分にとって都合のよい言い訳に聞こえるわけですね。

 

ちなみに車で通勤している女性で、

健康サンダルを車内で履き替えて運転しているのでしょうか、

そのままでコンビニやらスーパーに買い物に出るなど

実際目にすると今でも不快になりますが

ある程度見慣れてしまった自分がとてもイヤになります。

 

車で通勤している人がすべてそうではありません、

もちろんそういう人は一部でしょうけれども。


自分の車を使って通勤している人だけに限らず、

電車だろうがバスだろうが

会社の制服を着たままでいる人を初めて目にした時、

ものすごいカルチャーショックを受けた記憶があります。

 

メリハリがないというか、

恥ずかしいという意識なんてないんだろうなと

思うしかありませんでしたね。


実際自分の知人でも通勤で制服を着たまま、

の人がいましたが、

その人の話ではこうでした。

 

「今まで制服がない勤めしかしたことがなかったから、

制服があってうれしい

 

うれしいんだそうです。

だから通学と同じで通勤でも制服を着るのがなぜおかしい、

ということになるのでしょうか。

その人は本当に会社にいる間そのもの、

といった姿で退勤後に外にも平気で出てきます。

 

ネームはさすがに外したのかそもそもない勤め先なのか、

幸い見当たりませんでしたが、

胸ポケットにはペンが差し込んであるままで、

足元はナースサンダルでした。

 

こういう人と外で待ち合わせると、

同席している自分の方が恥ずかしくなるのは

わたしがおかしいのでしょうかね。


ネームと言えば、

休憩中でもそのままの人って本当に多く見かけますが、

そんなに自分を宣伝したいのか

長年の謎のひとつです。

 

周りと「同じ顔つき」になる

人はその制服どおりの人間になる。

ナポレオン・ボナパルト 

 

職業でその立場を自覚させるためなどに、

制服は必要なものだとは思いますけれども

「これを着ているから」と職業までわかるのは

ほとんどないのではないでしょうか?

 

社会的に影響の強いとされている職業くらいでしょうね、

見た目でわかるのは。

 

ただ、そういった人たちによく使われる表現ですが

「制服を着ていても」、

その自覚がなく犯罪者になる人など珍しくなんてないですけれどもね。


あまりにも有名な先の言葉ですが、

現代ではこのセリフは

「個性を奪われる」方へ強く傾いてはいませんでしょうかね。


池波お父さんも言っていますね。

ぼくは小学校しか出ていないでしょう。昔はそれが普通で、よっぽど金を

持っている人でなかったら大学まで行けない。けれども、普通の小学校し

か卒業していない人で、政治家になって相当のところまで行った人がいま

すよ。いまは、そうした面白味がないでしょう。

みんな同じように大学へ行き、みんな同じようにサラリーマンになる。だ

から顔まで同じになってきちゃう。

こわいものだと思う。本当に顔まで画一化されてくるね、生活が画一化さ

れてくると

だから、いまは、パッと見たくらいじゃ、どういう人なのかわからない場

合が多いんじゃないの。昔は着るもの、化粧のしかた、口のききかた、そ

ういうもので職業とか育ちかたが間違いなくわかったもんだ、男も女も

ね。

 

 

個人的に毎度のことですが

池波お父さんの先見の明には恐れ入りますね。

 

引用した部分だけでも、

現代の様相をそのまま言い当てているように思えます。

  

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